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21/11/07 ユメモナクオソレモナク
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 いやそもそも10月何読んだっけ?

なんて今更過ぎる発言でこんばんわ。それよりも9月の1冊の次が10月の1冊ってどういうことだ腹切って詫びろって話ですよね。だが断る。

10月の記憶なんて剣道と筋トレと猫の記憶しかネーよ。

で、実際にブクログでざっと目録を眺めて、コレ今月に読み終わったなーというものをカウントしてみた。ちなみに今月の1冊とは今月に読み終わった物からチョイスしています。なので月をまたいで読み終わった物ほどインパクトが薄くなります。

・テクノロジストの条件
・日本人へ(歴史編)
・黒死病
・ローマ亡き後の地中海世界(上)

あとなんか軽い新書があった気がするが、所詮は〆切りありきの雑誌レベルの書籍だったと記憶。佐藤優の著作もちらほらあった気がするけど、図書館でその場で一気読みしたとか、あるいは雑誌だったような気がしなくもない。

さて、この中から1冊を選べと言うのならばなんとなく黒死病が良いような気がする。疫病という物が一体どの程度人類の歴史を左右してきたかについて幾つかの角度から掘り下げている。著者がノって書ける角度からしか書いていないようにも思えるが、それだけに結構読み物としても面白いのだが、さりとて今月の1冊とするには少々物足りない・・・。

ローマ亡き後の地中海世界についてはまだ下巻を読んでいないので何とも。これぐらいの文量で、かつ個人的に名文家であると思っている塩野七生氏の著作であるならば上下巻併せても一週間で読めると思うのでどうせなら下巻も読んだ後で選びたい。

テクノロジストの条件については、使い回しが多く、ドラッカーの別の著作で既に議論されている内容が多かったのでこれもまた別の機会に体系立って書いてみたい。

というわけで10月の1冊は無しという方向にしたい。今月は読書量が本当に少ない。来月はこの二倍は読みたい物だ。というわけで来月の候補に挙がりそうなリストを先に書いておく。メモ程度にはなるだろう。

・中央銀行は闘う -資本主義は救えるか-
・ローマ亡き後の地中海世界(下)
・失敗の本質
・読書について
・自殺について
・全地球史解読
・日本人とユダヤ人
・モーセと一神教
・君主論
・生命とは何か

今月に比べかなり冊数が多いのは、このどれもがすでに三分の一以上読んでいるせい。特に今月読み切らなかったが『失敗の本質』については読み切っていればまず間違いなく今月の1冊だった。

ふと何気なく、「とっとと読んでしまおう」などと書きそうになったが、それはどうやらショウペンハウエルとは真っ向から反対するアイディアらしいのでどれも丁寧に、大切に読んでいきたいと思う。

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毎月の1冊を決めると言っておきながらすっかり忘れてこんな日にまでずれ込んでましたよこんばんわ。反省はしている。

前回は第一回という事で、どうやらやる気を出しすぎた感があった。なので今回は手短に伝えていこうかと思う。

9月の1冊はこちら。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』



なぜ旧世界(ヨーロッパ)が新世界(非ヨーロッパ)を支配するに至ったのかに今一番肉薄した本。素晴らしい。文句なんて有るわけがない。分子生物学や地理学を始め、言語学等まで駆使した上で著者のダイアモンド博士は断言する。

「食糧生産こそが西洋人の持つ有利な点、すなわち銃・病原菌・鉄を生み出した。そしてその食糧生産はたった四つの要因から決定された。」

・食糧生産に適した野生種の分布
・大陸が東西と南北のどちらに広がっているか
・大陸の大きさ
・大陸間の伝播が容易か否か

究極的に、世界の富のほとんどが今の先進国に集まっているのはこの四つのお陰である、と本書は結論づけている。そこには優生学など一切つけいる隙はない。

日本では世界史が未履修だなんだと叫ばれているが、それはひとえにあのクソ面白くない歴史の教科書に原因があると俺は思っている。しかしいくら教科書が面白くなかったとしても、ザルを通り越して枠にしかならないような教科書であったとしても、枠は枠、フレームはその後に作られる歴史認識という建築物の土台になるものである。

俺は歴史の教科書を通読した事はない。およそ歴史の教科書に書かれているようなことは全て知っているというわけでは断じてない。ゆえにフレームさえ存在しないあばら屋のような歴史認識なのだが、おそらくこの本はそんな俺に堅固なフレームを与えてくれるのではないかと期待している。

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―――― 今日産まれた赤ん坊がベッドの上で死ぬために。

上下巻にして計800ページ。しかも小説のようなページに印刷されていない余白なんてほとんどない、全てのページにぎっしりとも字が詰まっている。こんな本を誰が一気呵成に読み切るというのか。まったくどれほどまでに作者は言いたいことがあるというのだ、前著がピューリツァー賞を獲得した?だとしてもこれほどまでに長い読み物、例え知的探求心の一代結晶であろうと容易く読むことなど―――――――

読み始めてからの二週間、あっという間でした。ありとあらゆる瞬間に於いて脳裏からこの本が離れることはなかった。

本書は題の通り文明崩壊を扱う。著者は生物学者として学問の道に入り、その後は研究範囲を広げてゆき、背表紙に書かれた紹介によると進化生物学、生物地理学、鳥類学、人類生態学などその専門は広範にわたっており、当然この書に於いて文明の崩壊も地球的生物的人類的な、すなわち総括すると環境という視点から書かれている。

ある文明が崩壊するに際しては必ずその背景には環境の変化がある。環境は往々にして人間の命よりも長いスパンで変化を繰り返しているが、人間は環境が最も人間に優しい瞬間が常態であると錯覚し、好都合な時の環境を土台にした文明を築く。従って環境が人間にとって好都合であるピークを過ぎ、不都合な状態へと変化すると環境は人間を支えることが出来なくなってしまい、その文明は存続の危機に立たされることになる。

この本ではそのような危機に立たされた数多くの文明社会を例として取り上げている。過去の文明社会からは示唆に富んだ教訓と生き延びるための鉄則を。著者の言葉を借りれば”壮絶に加速し続ける二頭立ての馬車レースを繰り広げる現代文明”からは直面している危機とそれに対する努力を紹介してくれる。

当然、日本についても言及している。詳細は下巻の冒頭で語られるが日本は過去に森林の皆伐を回避した実績がある。現代日本に住み、罪悪感を感じながらも浪費する生活から抜け出せない俺のような人間には意外に感じられた。この問題に関して日本は無力ではないという事実を異国人から、それも歴史的観点から言及されてようやく気づく盲目ぶりには情けなくなるが、それでもこの三巻冒頭を読んだ日本人は誰もが「やるな徳川」なんて思うだろう。いや、狸はやりよるぜよ?

過去の文明が崩壊したことを現代文明が持っている科学力が全てを解決してくれるなどという幻想は早々に棄てた方が良い。そんなことを本気で信じているようなお気楽な人間にはきっとこんな本は必要なく、幸せなことに今後20年を生き、そしてその後に環境破壊に対して有効な手立てを打てなかった責任ある立場の人々を糾弾するだろう。

だが僅かでも科学という諸刃の剣を疑う人には、この本は消え去っていった過去の文明から教訓と何より私たちが知りたいであろう現段階での環境の持続性と有効な手立て、そして著者や現代社会が考え実戦している環境破壊への手立てを教えてくれる。

その圧倒的な文量に最初は戸惑うかも知れない。だが読んでいる最中、今自分が読んでいる部分がその先で語られるであろう現代の環境問題に繋がるという約束があるお陰でこの本を途中で投げ出そうと思うことは無いはずだ。
だからとにかく手にとって読み始めて欲しい。下巻の第16章で筆者が30年後に自分と同じ年齢として生きることになるだろう息子達(すなわち俺と同世代人)の不幸を綴り、それでも慎重な楽観論者としての側面を見せる頃にはきっと貴方もこの本を誰かに勧めたくなるはずだ。

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 というわけで久しぶりに読書記録・・・・と、書きたいのだが、実は結構読んで、結構(感想も次に読む本も)積んでいるので忘却しかけている。

最近は全集や古典にはまっていて本当ならがっつり書きたいし、書くべきところなのだがちょいちょい裁くことが多くなってきたので走り書きにて失礼。

へ、今まで走り書きじゃないちゃんとしたレビューがあったかって?

・・・・・・ない、な。

そんな残念な感じでいつものレビュー。

【読んだ本】
▼『芥川龍之介全集』(ちくま日本文学002)
言わずと知れた日本文学史に燦然と輝く天才、芥川龍之介の全集。全集と銘打っているが、それは編集者視点によって厳選された短編と詩歌が納められている。
『トロッコ』『蜜柑』『御辞儀』『鼻』『芋粥』『地獄変』『藪の中』『杜子春』『奉教人の死』『開花の殺人』『魔術』『ひょっとこ』『玄鶴山房』『枯野抄』『河童』『或阿呆の一生』『発句』
といった作品が収められていた。

当然、初めて読む物ばかりではない。初読が小学生から高校生だった作品もあるが、自分が20代になり明日の選択を全て自分が行えるようになってから読むと、これらの作品の内に秘められた筆者の熱量、才覚、繊細な感性が質量を伴って感じられた。

激しく、切なく、狂気に彩られた作品群。


▼『ファウスト』(ゲーテ著)
まさかの三年間寝かし。実は三年前に上巻を読み、久しぶりに下巻の姿を本棚の奥で発見し、先月ぐらいに読み始めた。
読み始めると、当然未読のまま放置した作品なので上巻の内容をさっぱり忘れていた。というわけで上巻を引っ張り出してきてあらすじを確かめるべくザックリ読もうとした。

気がついたら夜が明けていた。

戯曲というものは役者が演ずることを前提としているため本には原則として会話しか書かれていない。だがそれを忘れさせるような情感と彩りを携えた表現の数々は、読み手の眼前にファウスト博士とメフィストフェレスの動きと世界観を活き活きと映し出す。

物語は次から次へと数多くの登場人物が現れ、そして彼らを置き去りにするようにファウスト博士とメフィストフェレスは世界を駆け抜けていく。ときに女を貪り、ときに国を貪り、ときに女神を追いかけ、ときに国を興し。

メフィストフェレスはファウスト博士の魂を堕落させようと画策するが、堕落の限り、欲望の限りを尽くしたファウスト博士は悪徳の果てに人間精神の真理を手にして天国へと上っていく。

個人的な感想を述べると、チャイコフスキーを聞きながら読むと臨場感がありそうだった。



以上。久しぶりの書感。

何か他にも読んでいた気がするが、そのうち思い出したら書き足そう。

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”僕”は止むに止まれぬ事情から一匹の”羊”を探すことになった。
羊は「先生」を利用して日本のメディア全てを牛耳る”組織”を作り上げると、あるとき突然消えてしまったらしい。そして探していく先で僕は”羊”と、僕と”羊”を結びつけるきっかけとなった一枚の写真を送りつけてきた主である”鼠”の関連性に気づく。

これは鼠と僕の最後の冒険だった。


以上が大まかなあらすじである。
実はもう少し詳細なあらすじを書くことも出来るのだが、そこはそれなりに作品と作者に敬意を表したということにして端折る。

さて、この物語について言うのならまず最初に語るべきは

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浪漫。

思わず漢字で書きたくなるほどの浪漫。

どれだけ分厚いルールブックを作ってもその索引に全てのルールが書かれることはない。そのルールブックに載っている最も古いルールさえ不確かである可能性を十分に持っている。

理系ならお馴染みニュートンさんは不確かだったという擦り切れた話を皮切りに如何に俺たちが無知蒙昧で、今の俺たちが”真実”とか”真理”とか書かれた看板が掛かった店の前で必死に手元の地図を見てるようなもんだ。などと考えられている。

量子力学と相対性理論の間には埋まらない溝が以前存在しているし、人間が持っている生物学という学問はあくまで地球の中での常識に過ぎず比較対象となる別の生物学がなければ生命について十全に検証を行うことも出来ない。

そういった浪漫と今の科学の閉塞感を楽観的に書いたエッセイ集。作者はよっぽどの楽観主義者か、よほど人間に自信を持っているようで読んでいてさわやかだった。この作者のように面白可笑しく子供に話して聞かせられる科学の語り手でありたいと強く想った。いいなぁ、この作者。

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なんと初の村上春樹。短編集にして、これは奇譚なのか?と首をひねりたくなるような物ばかりを集めた一冊。
昼飯を買おうと購買に行ったところ、昼飯と同じぐらいの値段で売っていた本。

買う→読む→放り投げる→どこにあるかわからな~い

という俺の所有する本にありがちなパターンを経てしまい、現在部屋のどこにあるか判らない。

だがまぁそれでもいいや、と思えるような本。綺麗な文章と丁寧な構成とプロット、少し気の利いた人物背景という本で、正直この作者のどこがそこまで大ヒットする要素があるのかが判らない。

ついでにいうならなんで1984年なのかもわからな~い。読んだらわかるんだろうか?やじーさん貸しておくれ。

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ルイスキャロルが雑誌にて出していたクイズ集。通称もつれた尻尾ちゃん(A Tangled Tail)。

『不思議の国のアリス』に出てくるアリスにはモデルが居て、その少女とアリスの似てなさっぷりといったらそりゃあもう激怒クラスですわ!

と、憤慨した人間の十分の一くらいはこの本の存在を知っているはず。

自分で考えて脳内で答えるもよし。小学生相手に算数を教えるときのクイズに使うもよし。
簡単な幾何や代数、そして言葉遊びを楽しむ本で、英語版の駄洒落を知ってジョンブル気分に浸るのもありっちゃあり。
いずれは不思議の国のアリスも読んでみたいのだがそこまでの覚悟はない。

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サリンジャー著の短編集で野崎孝という人の日本語訳を読んでみた。読んでみた、といいつつも実際は部屋の整理中に出てきたので読み返した、つまりは何度目かの再読ということになる。
最近時間と体力と集中力の関係上、短編ばかり手を出している。というのも、あんまり長い本になると中断を挟んで読み返せないから。短編はその辺が楽でいいかな。

この本はタイトルの通り9編の短編で構成されていて、その中では攻殻機動隊とかで出てきた”笑い男”が特に有名だとおもう。9編のタイトルを挙げると、

1.バナナフィッシュにうってつけの日
2.コネティカットのひょこひょこおじさん
3.対エスキモー戦争
4.笑い男
5.小舟のほとりで
6.エズミに捧ぐ―――――愛と汚辱のうちに
7.愛らしき口元、目は緑
8.ド・ドーミエ・スミスの青の時代
9.テディ

まぁ、わけのわからんタイトルばかり。
そもそもバナナフィッシュってなんだよ!対エスキモー戦争とか意味がわからん!!というツッコミを入れてしまいがち。

読んでみるとさらに訳はわからなくなって、主人公の一貫性のない行動か一貫性のない物語構成かのどちらかに振り回される。でもこれはエスプリのような効果を狙っている物で、あんまり鯱張らずに素直に読んでいけばいい。

例えば、真面目な事を真面目に言い切ることができる人間がなかなかいないように、悲劇的なことはユーモアを添えて、喜劇的なことはたっぷりと皮肉を交えて話したり書いたりと、そう言った書き方だと思えばいい。サリンジャーによるこの辺の裁量、今風に言うなれば”空気が読めてるか否か”というものが絶妙で、もし誤解しているとしたらそれは大多数の人が読めてる空気を読者が読めてないのか、または文化の差ってことになってしまう。

俺の周囲では割と好感を持っている人間が多いので文化や世代差というよりは皮肉を楽しむセンスに寄るか。

以上が前半の感想。後半はシーモア知ってるとまた別の感慨があったりなかったり。

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自己紹介:
読書、物語・評論・詩・ビジュアルノベルなどジャンル問わず頭の中で展開する人です。

身体はエロゲとレッドブルで出来ている・・・・。
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