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ガリア戦記の作者が、政治家、戦略家、文筆家、法律家として傑出した存在で、人類最高峰の知恵を有していたことは衆知だが、”らっきょ”の世界観で言うと人を殺しすぎている男であり、”今はもうない”の世界観で言うと彼は偽りなさ過ぎであり、エヴァの世界観で言うと、「そういえばこいつ、ローマ世界の慣例として死語は神様に祭り上げられてたなぁ。ならコイツが神か!」なんて考え出す始末。あぁ、こんなにも面白い人間が二次元じゃなく三次元で存在していたなんて。これだから大好きだよ人間。
そうそう、二次元に勝る面白い人間で言うなら、アレクサンダー大王とチェーザレボルジアを外すわけにはいかない。
アレクサンダー大王に関しては説明不要、歴史上”無敗”を誇ったただ一人の大王。イッソスの会戦は数にして十倍の敵を討ったということだけに着目しても英雄譚に相応しいが、それまで支配者階級出身者が多く、そのためにお荷物となりがちだった騎兵に戦士を乗せ、戦力化するという、”それまで誰もが目にしながらも、誰もが気づかなかった事実”に気づいた知力、また騎兵を平民出身者へと変えることを支配者階級に強いた説得力、そして二万という大群を有機的に動かすことを可能にした統率力、自身騎馬し続けながらも戦うことが出来たという肉体上の耐久力、これら全てが一人の人間に備わっていたという事実が明らかになったことこそが、イッソスの会戦の本質だ。自国領土を守るために有効な手段の一つとして、侵略者の後背湿地、すなわち”敵国を徹底的に叩く”がある。これを延々繰り返したらインドまでたどり着いたなんて、どんなギャグですか大王。
ちなみにマケドニアの位置を知らん不届きモノが大勢いるだろうが、マケドニアとは、わかりやすく大ざっぱに言うなら地図上でイタリアの右の右の右。旧ユーゴスラビアに位置する。
そしてマケドニアからインドへ至るには、ギリシャ、トルコ、シリア、イラク、イラン、パキスタンと渡り歩く必要がある。この旅程を正確な地図なしで旅した熱い男。ヨーロッパの人と言うよりはむしろアジアの人。是非頑張って日本まで来て欲しかった!(<無茶です)
現代文明に入ってから、彼を超える距離を自身の肉体のみで踏破した人はランス・アームストロングと、ローマの支配領域を実際に自転車で見て回ったという歴史家モムゼンぐらいじゃね?
一方で、チェーザレ、この人は、ルネッサンスのイタリアに生まれた人で、奪う・学ぶ・殺す・戦う・創る・犯すの全てを最高レヴェルで行った男だ。もしルネッサンス時代の登場人物全員を巻き込んだ総合能力の個人戦などというものがあったとしたら、その決勝戦はレオナルド・ダ・ヴィンチとチェーザレ・ボルジアだと思っている。
見て参りました。
ヱヴァンゲリオン破
今朝、目がさめるとそこは自分の部屋ではなく、勝手知ったる他人の部屋のソファーだった。部屋の空気には気化したアルコールが染みいていて、暑さとアルコールの甘い匂いのせいで頭が痛い。替えの服はないが家主が見あたらないのを良いことに、勝手にシャワーを拝借して体にへばり付いた汗を刮ぎ落とす。リビングに戻り、これまた勝手に冷蔵庫を開け、中からペットボトルのウーロン茶をそのままで飲み干し、ここで始めて時計を見た。
13:50
別段、時間に不満もなく、用事があるわけでもないが、無性に腹立たしくなり、アナログ時計の短針を180度、逆時計回りに回そうかと一瞬思い立ち、翌日その時計に気づいて慌てる友人を想像して悪くないと考えるが、くだらないと思いとどまった。そして、そのままやることもないので友人のノートパソコンの蓋を開いて、昨日途中で寝てしまった映画の続きでも見ようとして、ブラウザが映し出した情報に目を止める。
ヱヴァンゲリオン破 上映館
・・・・・・よし、観に行こう――――――――――――
などという葛藤があったわけではないが、とにかく観てきました、ヱヴァンゲリオン破は言わずとしれた劇場版二作目だが、今回は”破”という文字が、つまりは破壊がテーマらしく、旧来の出来上がってしまったエヴァをぶち壊そうという目標で作られた作品のようです。そしてその狙いは見事に達成されており、観に行った観客は二時間弱の時間を劇場で過ごし、幕が引かれ電気が灯り劇場が明るく照らされ出すと、皆一葉にその顔には興奮からくる笑顔が浮かんでいた。
かくいう俺もその一人で、二時間弱、一体何が起きているのか判らないほどに、ぽかんと間抜けな顔で見入っていた。
だが、こんなにもエヴァを壊しておきながらこのヱヴァは間違いなく、ヱヴァンゲリオンだった。
いくらマリが活躍しようとも、いくらシンジ君が屈強な漢になっていようとも、いくら綾波が幼くても、この謎から謎が生まれ、観ているものが納得したり、理解したりする暇もなく、次から次へと新たな展開を打ち出し、力尽くで私たちを魅せるこれは、紛れもなくエヴァだった。
次回作、Qも非常に楽しみだ。
自己分析とは、ようは自分が一体どのような人間かを理解することに他ならない、と言われている。
一般論を先に持ち出すことで読者諸氏は雰囲気を察しているだろうが、俺は自己分析の定義について懐疑的だ。
しかしながら自己分析の重要性については賛成だ。なぜなら俺は常日頃から人間の実力を測るパラメーターは、知性、説得力、肉体上の耐久力、持続する意思、自己制御の能力の5つにあると思っていて、その中の自己制御の能力に自己分析は大きく関わっているからだ。
さて、私事だが、俺は担任という存在がまだ傍にいた時代、しばしば自己分析についてはほぼ完璧であるという評価をもらってた。だがこいつはデマだ。上の定義に照らし合わせるなら俺は俺のことが良く分かっているようだが、実際のところ俺は衝動的人間なので自分がどんな人間かなんてさっぱりわかるわけがない。
・自分に何ができるか
・自分が社会に入ったときどのような働きをするか
・自分が周囲に対してどのような影響を与えるか
この三つだけしか理解できていない。
だが、それでも評価としては”自己分析に秀でている”となる。いや、なってしまう。だが、転じて”自己制御の能力”となると、俺ほど自己制御ができない男も少なくないだろう。情熱というものを”持続する意思”にカテゴライズするならば、俺は
これは俺の実験の一つとして考えている。今のところ俺は三つの可能性を模索している最中。
一つ目は剣道。かれこれ15年は続けていてそろそろ四段を取りたいなぁと思っている。これは俺の中で柱として踏ん張っている部分だ。だがしかし、これから俺が社会に出ていくことを考えれば残されている時間はさして長くない。自分の人生の四分の三を占めているこの剣道も最後まで死ぬ気でやりたい。そんな覚悟のもとで今再び挑戦を続けている。
二つ目はプログラム。今後学ぶことはあれど、それを早く、様々な言語を学んでみたいという思いに基づいている。基本的にこういったプログラムを書くことは結構好きなのでそれなりに自分の性に合っているとは思っている。
そして三つ目が題名にもなっている小説。もともと、俺は物書きになれたらいいなぁ、と漠然と思っていた。だが調べたり書いたりしているうちになかなか高いハードルだということに思い至った。そこで、なら適性を見極める意味でもまずは書いてみようと腹を括ってみた。一度全力で書いて、そしてもし反響が悪ければペンをへし折る所存だ。一応書く場所は確保しているが、そちらはよりシビアな評価を下す場なので、できればこのブログというバイアスを抜きに人の目に見ていただきたい。なのでここでは申し訳ないが明かさない方針で行こうと思う。
ただ、息抜きというか、書き方の実験という意味で簡単な二次創作もネット上で公開している。そちらは他の人のサイトに間借りさせてもらっているので、読みたいという方はコメントしていただければURLを載せたいと思う。
では。
身体はエロゲとレッドブルで出来ている・・・・。
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